言葉と私
これは私が小学生の頃の話。
学校の帰り、なんとなく私は言葉の教室に通っていたことを友達に話していた。
とても楽しかったよと語る私に友達は「へえ……」と不気味な笑みを浮かべたのだ。
思えばあれは偏見とかそういう目だったかもしれない。
その時の友達の表情はとても不細工なものだったので、どうしたの○○ちゃんすごく不細工だよと言いそうになったのだが、なぜかそれを指摘したら喧嘩になりそうだと悟ったため私は黙った。
私がことばの教室に通うになったのは私が全くしゃべらなかったから。
ある程度大きくなったらしゃべるだろうと母は思っていたが、全く私はしゃべらなかった。
あまりにも喋らなさ過ぎて、祖母がよくお世話になっていた寺のお坊さんに宇宙人みたいとからかわれるほど。
心配になった母は小児科の医者に相談して、ことばの教室に通うことになった。
ことばの教室とはしゃべれるように訓練するだが、小さいころの私にとっては幼稚園のほかに遊べる場所という認識だった。
自分が通っていた幼稚園とは別の幼稚園にことばの教室があり、幼稚園での一日が終わった後にことばの教室へ車で30分くらい移動。
先生や友達と楽しくわいわいと遊んでいたものだ。
とにかく遊んでいたという記憶しかない。
多分、先生は全くしゃべらない自分を頑張ってしゃべらそうといろいろと努力したのだろうと勝手に想像する。
幼稚園を卒業すると同時にことばの教室も卒業した。
もしことばの教室に通ってなかったら私はある程度人並みにはしゃべることができなかったかもしれない。
どうして私はしゃべれなかったのかわからないし、記憶にないからなんとも言えない。
ことばの教室に通うほど私はしゃべるのが劣っていた。
多分、友達があの時不細工な顔になっていたのは私を見下していたからだろう。
でも、私はことばの教室に通ったことを恥じてない。
私には大抵の子よりは居場所が多かったし、楽しいことをたくさん知っていた。
だからこそ私は誇っている。
ことばの教室はとても素敵なところだったと。