函館の心霊&歴史スポット 函館戦争ゆかりの地 碧血碑
みなさん、こんにちは。
千年鯨です。
以前は五稜郭について紹介し、函館戦争について軽く触れました。
今回私が紹介するのも函館戦争に関する場所です。
碧血碑のアクセス方法
碧血碑への行き方はまず、函館の市電で谷地頭駅に降ります。
そこから函館山に向かって徒歩15分でたどり着きます。
実は以前紹介した立待岬の近くにあります。
立待岬からの道を通っていくと案内の看板が見えますので、指示通りに行きましょう。
おすすめは徒歩や自転車ですね。
アスファルトの道路から登山道を通っていくと碧血碑にたどり着きます。
碧血碑とは?
碧血碑とは函館戦争で亡くなった幕府脱走軍の方々のお墓です。
函館山の麓にあります。
碧血碑の由来は碧血丹心、中国の故事成語から
碧血碑という名前がつけられた経緯は中国の故事成語から来ています。
その故事成語とは碧血丹心です。
どんな話かというと、
・中国が周の時代、当時の王様に仕えていた臣下が命令通りに故郷に戻って自〇
・地元の人々がその血を隠していた
・それから3年後、赤い血が青く美しい宝玉になった
です。
このことを踏まえて、函館戦争の犠牲となった幕府軍を弔っています。
碧血碑の建設に尽力した偉人 柳川熊吉
この碧血碑の建設には一人の男が大きく関わっています。
その名は柳川熊吉、函館の任客です。
函館戦争が終わった後の街の様子
戦争が終わった後、函館の街は命を落とした旧幕府軍などの〇体でいっぱいでした。
新政府軍の意向で、幕府脱走軍は賊軍であるため弔うことを許されていなかったのです。
それに異を唱えたのは柳川熊吉でした。
柳川熊吉が行動を起こした結果
柳川熊吉は子分に迷惑をかけないため、距離をとることにして実行寺の僧侶らと幕府軍を弔い始めました。
その後、行動を咎められて裁判にかけられてしまいます。
〇刑を言い渡されましたが、柳川熊吉の行動に新政府軍の田島圭蔵が胸を打たれました。
彼の計らいで〇刑から逃れられて解放されました。
碧血碑の建設
無罪放免となった柳川熊吉は函館山の一部を購入しました。
そこに碧血碑を建てたのです。
碧血碑は心霊スポット?
碧血碑は柳川熊吉の働きかけによって建てられた大切な場所です。
しかし歴史の流れから心霊スポットと噂されており、肝試しとして多くの人が訪れています。
碧血碑の怖い話、噂
・戦死者の霊が彷徨っている
・夜中になるとラップ音・兵士のうめき声が聞こえる
・オーブ、心霊写真が撮れる
・参道付近に女性の幽霊が座り込んでいる
という怖い話があります。
実際に訪れてみた感想
さて、この怖い話もある碧血碑はどんなところなのか実際に行ってみました。
人気のない、木が生い茂る場所
碧血碑は木が生い茂っており、人気はあまりないところでした。
自然に圧迫されたところから怖いと思うかもしれません。
人として大切なものを失いかけた
私は普段心霊スポットをぶらぶらしますが、墓をとらないと決めています。
しかし、碧血碑の前に立った瞬間私はシャッターを押そうとしていました。
何かにとりつかれたかのように。
傍にいた母のおかげでなんとか冷静さを取り戻しました。
ちなみに記事に使っている碧血碑は写真ACでダウンロードしたものです。
霊感のない母も感じた 怖い雰囲気
思わず自分のポリシーを破ってしまいましたが、母も何か怖い気配を感じました。
母から霊感があると聞いたことはありません。
しかし、碧血碑にずっといられないほど母は何かを感じていたようです。
実は心霊スポットなんだよねと話したら叱られました。
まとめ 敬う気持ちを忘れずに訪れましょう
碧血碑は心霊スポットと言われていますが、柳川熊吉らの想いが込められた大切な場所です。
遊び半分に訪れるのは罰が当たる行為です。
神聖な場所なので、訪れる際は敬意を持っていきましょう。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。