ドライブ・マイ・カーの感想・考察
日本アカデミー賞がこの前ありましたね。
ドライブ・マイ・カーがたくさんの賞を受賞したということで話題になりました。
どんな映画なのか気になった私は早速見てみました。
美しい映像と共に深く考えさせられる物語です。
さっそくその魅力、考察をネタバレしながらも語ろうと思います。
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祝! アカデミー賞 国際長編映画賞受賞
3月28日、現地時間だと3月27日にアカデミー賞の授賞式が行われました。
ノミネートされていたドライブ・マイ・カーはどうなっていくのかと気になっていました。
国際長編映画賞受賞おめでとうございます。
あの映画の良さがアメリカにも認められるとは嬉しいです。
ドライブ・マイ・カーのあらすじ
主人公家福は舞台役者の男、妻は脚本家でした。
仲睦まじい夫婦でしたが、娘を失う悲しい過去を抱えていました。
ある時、彼に不幸が襲い掛かります。
妻の浮気を目撃したこと、そして出張から帰宅後にくも膜下出血で亡くなった彼女と対面しました。
あらゆる環境がぐるりと変わった後、家福は広島に劇のイベントのため愛車でやってきたのでした……。
ドライブ・マイ・カーの感想と考察
東京、広島、韓国
ドライブ・マイ・カーの良さは映像の美しさですね。
東京から広島、そして韓国へと続くドライブの映像はすばらしかったです。
約3時間という長い時間の経過を美しく感じるほど素敵な映像でした。
失った痛みを抱えた者が行きつく果て
主人公の家福、家福の車を運転するみさき、家福の妻の音、音と関係があった若い俳優の高槻はそれぞれ失ったものがありました。
彼らは喪失を抱えながら生きていること、そして残された者が再び立ち上がるまでが描かれます。
娘と妻を失った家福と母親を失ったみさきの心の交流は見逃せない場面ですね。
みさきの故郷にて家福は妻と向き合うべきだったこと、そしてこれからもそれを抱えながら生きていこうと心の清算をするところは目がうるっときました。
高槻は家福から大事な役を任されますが喧嘩っ早いところがあったりと危ういところをたくさん持っています。
後々、劇に穴が出るほどの大きなことをしでかしました。
今後、高槻はネットや世間で叩かれるであろう状態にいると思われます。
今の世は失敗や大きな問題を起こすとありとあらゆるところから叩かれていき、反省すら許されない状況です。
高槻はこの状況について表現しているそのものですね。
今後、彼はどのように復活するのか気になりました。
音が語る物語
音は脚本家として才能を開花させましたが、それには秘密があります。
音の物語を家福はよく聞いてましたが、最後に聞いた物語の続きは彼女と関係を持っていた高槻が聞いていました。
その物語では残酷な場面が描かれ、その物語の主人公が監視カメラに向かって口パクで告白するものでした。
音が脚本家になったきっかけは娘を病で失ったことから、物語を書くことによって彼女は復活しましたがしかし闇が残っていたと思われます。
それが物語の主人公が告白したこと、〇したという言葉です。
音がなぜ夫の家福に言わずに高槻に語ったのか、それは娘の死は自分のせいだと思っていたからなのではと考えます。
娘の死は病によるもの、ある意味運命だったかもしれませんが母親として責任を感じていたのです。
娘が亡くなったときは家福は必死に自分たちのせいではない、そのような運命だったとなだめていたと思いますが、音に生まれた罪悪感は簡単に拭えないものでした。
彼女が罪悪感から逃れるためには家福以外に頼るしかなかった。
その行動に至るほど音は追い詰められていたかもしれません。
なぜ、家福に頼らなかったのか、それは家福との関係を変えたくなかったと思います。
娘のことについて考えていたら悲しみを抱えきれずに夫と別れる道を選んでいただろう、しかし夫とはまだつながっていたいという気持ちに揺れた結果高槻に頼ったと思いました。
様々な言語で作られた劇
舞台役者として活躍していた家福はロシア語と日本語を組み合わせた劇をしていました。
そして演出家として広島で関わった劇は中国語や韓国語などたくさんの言語が使われたのです。
異なる言語を使う人たちが一つに集まる姿には心がじんときますね。
最初はバラバラだった心が次第に通わせていくところから人間の良き可能性を感じました。
愛車は家福と音の絆
家福が愛用している車は年代物でずっと使われているものです。
家福は運転をしながら音が録音した劇のセリフを用いて、自分のセリフの練習をしていました。
この時間の家福は幸せそうですね。
離れていても音との絆の深さを感じさせられました。
家福がみさきの運転を最初は断っていたのも大切なものを他人には触れられたくなかったかもしれません。
家福が関わった劇
家福が関わったのはどうやらロシアが舞台の劇です。
家福が演じた役はとんでもないことをしでかして絶望に陥るものでした。
ちょうど劇と同じことが家福に起こってしまい、セリフを言えなくなった場面では心が痛みました。
映画の最後では家福が一度は手離し役を再び向き合うのですが、そこで心がじんと来るセリフを贈られるのです。
それは絶望に関わり、喪失を抱えた者の心に響くものでした。
家福は劇に励まされていったのではと思いました。
頬の傷は罪の証
音の罪の証が物語にあるように、みさきにも罪の証として頬に傷がありました。
母親を災害で失ったみさきはずっと心に罪悪感を抱えます。
家福と共に生まれ故郷に戻ったみさきは自分の心に向き合ったのでした。
みさきはこの傷を乗り越えた後、どうなったのかは実際に映画を見てくださいませ。
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いかがでしたか。
映画は人を元気にさせる力があります。
もし、何かに悩んだときは映画を見て心を元気にさせましょう!
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。